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生月大魚籃観音

生月大魚籃観音舘浦漁港を見下ろす高台に建つ像高は18m、基壇を含めたら21m。
重さ150tものブロンズ製観音像で日本屈指の大きさです。
観覧時間:約10分

生月大魚籃観音
所在地:平戸市生月町山田免 570-1
交通 :生月大橋より車 7 分

歴史好きな社員のヒトコマ舘浦漁港(たちうらぎょこう)を見下ろす高台に建つ巨大な「生月大魚籃観音」。
ブロンズ像としては日本屈指の大きさで高さ 18m、基壇(きだん)3m。昭和 55年(1980)に海難者と魚介類の霊、世界平和を追悼し、漁船の航海安全を祈って、地元出身で科学技術庁々官、農林水産大臣を勤めた故金子岩三氏が建立した。
魚籃観音?そんな観音様あったのか…、ウィキペディアで調べるとありました。
「魚籃観音は三十三観音に数えられる観音菩薩の一つ。中国で生まれた観音の一つで、同じ三十三観音のひとつである馬郎婦観音(めろうふかんのん)と同体ともされる。
中国唐の時代、魚を扱う美女がおり、観音経・金剛経・法華経を暗誦する者を探し、めでたくこの 3 つの経典を暗誦する者と結婚したがまもなく没してしまった。
この女性は、法華経を広めるために現れた観音とされ、以後、馬郎婦観音(魚籃観音)として信仰されるようになったという。この観音を念ずれば、羅刹・毒龍・悪鬼の害を除くことを得るとされ、日本では中世以降に厚く信仰さ
れた」とありました。
生月は隠れキリシタンの島として有名ですが、また、漁業の島でもあります。
「戦後は東シナ海の巻網漁業に進出、最盛期には 20 以上の大型巻網漁船団を擁し、島の経済は大いに潤った。近年は漁獲量の減少などにより船団数も激減し
ている。」(ウィキペディア)
また、「江戸時代には益冨組を中心とした沿岸捕鯨が活発に行われ、平戸藩の財政を支えていた。」(同)ともあります。
益富組とは初代益富又左衛門が生月に於いて、江戸時代中期に突組という捕鯨船団を輿し操業していたとあります。
漁法は突取捕鯨法のみで行っていたが後、網取捕鯨法をに変えたとのこと。(平戸生月町博物館 島の館 生月学講座他)
もうかなり以前、佐世保で生月の漁師の方たちによる「勇魚捕りのうた」の実演を見たことがある。激しいドンドコドンドンと単調に続く太鼓の音が印象的で、よその国の原住民の音楽みたいだとその時は思いましたが、平戸瀬戸を潮流に逆らって登ってくるクジラを、勢子舟という 10m弱の小舟に乗った勇猛果敢な漁師たちが銛一つで追い、立ち向かう姿を思い浮かべると、太鼓の音が瀬戸の荒波を突き進む小舟と、人間とクジラの心臓の鼓動とが重なるように想像され、臨場感あふれる仕事の歌であったのだと、今は思い出されます。

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